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浦和地方裁判所 昭和61年(ワ)57号 判決

原告(兼亡袴田和也訴訟承継人)

袴田丈司

袴田直子

右両名訴訟代理人弁護士

須賀貴

牧野丘

被告

増田徹夫

増田トク

右両名訴訟代理人弁護士

須田清

嘉村孝

伊藤一枝

岡島芳伸

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自、原告らそれぞれに対し、金六一六〇万八〇一三円及びこれに対する昭和五八年一二月一九日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 原告袴田直子(以下「原告直子」という。)は第二子である袴田和也(以下「和也」という。)を懐妊し、昭和五八年六月九日、診療所「ニュー越谷マタニティ・クリニック」(以下「本件診療所」という。)において、同診療所を経営する医師の被告増田徹夫(以下「被告徹夫」という。)及びその妻で助産婦である被告増田トク(以下「被告トク」という。)の診察を受けた。それによると、和也の出産予定日は、同年一二月二〇日であった。

(二) 被告らは、同年一二月八日の定期検診の際、原告直子に対し、「同月二〇日に出産すると、年末年始の休み中に入院になってしまうので、早めに出産させた方がよい。」と言った、原告直子は、これを了承し、陣痛など何ら分娩の徴候がない状態で、同月一五日、本件診療所に入院した。

(三) 原告直子は、入院後、直ちに分娩誘発剤ないし陣痛促進剤であるプロスタグランディンの投与を受け、その後も、同月一六日から一八日までの三日間にわたり、数種類の分娩誘発剤ないし陣痛促進剤の投与を受けたが、陣痛の発生が遅れ、同月一七日午前一〇時、ようやく微弱陣痛が生じ始めた。

(四) その後も微弱陣痛が続き、分娩所要時間が三〇時間四〇分に及ぶ第一期遷延分娩となり、原告直子は、同月一八日午前四時二三分、和也を出産した。

(五) 和也は、出産時アプガー・スコア〇点の新生児仮死状態で出生し、引き続き低酸素性虚血性脳症となり、その結果、新生児けいれん、新生児一過性低血糖症、新生児早期低カルシウム血症、クモ膜下出血、急性腎不全及び多のう胞性軟化症になった。

和也は、被告らの治療を受けたが回復せず、同月一九日午前一一時三〇分、埼玉県立小児医療センター(以下「本件センター」という。)に転院した。

(六) その後、和也は、さらに、周産期(妊娠二八週から生後七日までの期間)無酸素性脳症の後遺症として、脳性まひ、てんかん及び精神発達遅滞のいわゆる植物人間の状態になった。

和也は、昭和五九年八月二〇日から同年九月四日まで東京都立神経病院に、同月一七日から同年一〇月一二日まで心身障害児総合医療療育センターにそれぞれ入院した。

(七) そして、和也は、平成四年一月二五日、植物人間の状態のまま、肺炎により死亡するに至った。この肺炎が本件事故による後遺障害に起因するものであることは明らかであるから、本件事故と和也の死亡との間には相当因果関係がある。

2  被告らの責任

(一) 被告らの過失

(1) 不適切な分娩誘発ないし陣痛促進

薬物による分娩誘発や陣痛促進をした場合、胎児が仮死状態になる危険があるところ、被告らは、その必要性がないのに、原告直子に分娩誘発剤ないし陣痛促進剤を投与し、胎児仮死、これに引き続く新生児仮死の状態を生じさせた。

(2) 分娩監視義務違反

ア 原告直子は、経産婦であった。経産婦の平均分娩所要時間は、七時間四五分であり、経産婦の分娩所要時間が一五時間以上の場合は、遷延分娩とされる。そして、微弱陣痛による遷延分娩の場合には、胎児の切迫仮死の危険性がある。

原告直子の和也の分娩は、微弱陣痛による第一期遷延分娩であり、しかも、分娩誘発剤ないし陣痛促進剤も投与されていたのであるから、胎児仮死の危険性が十分あった。

したがって、被告らは、胎児心拍数、子宮口開大度、陣痛周期、陣痛発作時間、児頭距離等を時間の経過に従ってプロットした分娩経過図を作成し、また、分娩監視装置を使用するなど、特に厳重な分娩監視を実施し、これによって胎児及び母体の異常を早期に発見すべき義務があった。

イ しかるに、被告らは、分娩経過図を作成せず、また、分娩監視装置を使用しなかったばかりでなく、特に、胎児仮死を診断する際の最も重要な監視事項である胎児心拍数を一日に二、三回しか聴取しないなどその測定がずさんであり、危険な状態にあった原告直子の分娩の監視を怠った。その結果、和也の胎児仮死の徴候を発見することができず、漫然仮死状態のまま出産させてしまった。

(3) 急速遂娩を怠った過失

被告らは、胎児仮死の危険性を認めたときには、直ちに急速遂娩(帝王切開、鉗子分娩、吸引分娩等)の方法を講じる義務があった。そして、前記のとおり、本件分娩は、分娩誘発による微弱陣痛の遷延分娩であって、胎児仮死の危険性が十分あったから、被告らは、胎児心拍数の観察により胎児仮死の発生を確認するとともに、直ちに急速遂娩を実施すべきであった。

しかるに、被告らは、これを怠り、漫然仮死状態のまま出産させてしまった。

(4) 和也に対する低血糖の治療及び救急蘇生術に関する過失

ア 和也は、アプガー・スコア〇点の仮死状態で出生し、呼吸停止、全身性新生児けいれんなどの極めて危険な状態にあったから、気管内挿管による換気、輸液療法、血糖、血清カルシウム、脳脊髄液などの諸検査・治療の実施という適切な救急蘇生術が直ちに施されないと、死亡し、又は回復不可能な脳障害に陥ってしまう。

イ 新生児けいれんは脳に低酸素状態を生じさせ、脳障害の原因となるところ、新生児けいれんの原因の一つとして低血糖がある。

和也には、けいれん、低血糖があったのに、被告らは、これに対する治療を怠った。

ウ また、被告らは、気管内挿管、マスク・アンド・バッグ法、心臓マッサージや輸液療法を施さず、前記諸検査を怠ったために和也の全身状態を把握することもできず、さらに、有害無益なテラプチック(呼吸循環賦活剤)を再三使用するなど、和也の救急蘇生に必要な措置をほとんど講じなかった。

エ 被告らの右過失は、少なくとも和也の脳障害を増悪させたことが明らかである。

(5) 和也の転院の遅滞

ア 和也は、チアノーゼ、全身けいれん、呼吸障害などの症状が早期から出現し、頭蓋内出血を疑わせる症状もあり、また、低血糖、低カルシウム血症の治療、フェノバルビタールの筋肉注射による治療を必要としていたから、脳神経外科医、新生児科医、小児科医らの協力など特殊高度医療を必要とする状態にあったのであり、応急処置後直ちにしかるべき人員及び設備のある病院に転院させるべきであった。

しかるに、被告らは、和也の出生後約一九時間もの間転院させなかったために、和也に適切な治療を受ける機会を失わせた。被告らの右過失が、特に、低血糖、低カルシウム血症によるけいれんの治療の時期を失する結果を招き、ひいては和也の脳障害の増悪をもたらしたことは明らかである。

イ また、被告らは、そもそも仮死新生児に対し、十分な蘇生術を講じる能力はなかった。そして、原告直子は、微弱陣痛による遷延分娩であったから、胎児仮死及びそれに引き続く新生児仮死の可能性は当然予見することができた。そうすると、被告らは、微弱陣痛による遷延分娩と判断した時点で、原告直子をしかるべき病院に転院させるべき義務を負っていたというべきである。

しかるに、被告らは、右転院義務を怠った。

(二) 被告らの責任原因

(1) 債務不履行責任(民法四一五条)

ア 原告らは、被告らとの間で、昭和五八年六月九日、原告らの間にできた胎児を健康な乳児として出産させるとともに、発育可能な状態におくことを内容とする診療契約を締結した。

イ しかるに、被告らは、右契約に反し、(一)の過失により原告らに対して後記損害を与えたものであるから、民法四一五条に基づき、その賠償責任を負う。

ウ また、被告徹夫は、診療契約上の義務を履行するに際し、被告トクを履行補助者として使用していたのであるから、被告トクの診療過程における(一)の過失により原告らが被った後記損害を賠償すべき義務を負う。

(2) 一般不法行為責任(民法七〇九条)

ア 被告らは、(一)の過失により原告らに対して後記損害を与えたのであるから、民法七〇九条に基づき、その賠償責任を負う。

イ なお、被告トクは、単なる履行補助者の地位を超えて、助産婦として独立した立場で診療行為に従事していたのであるから、被告トクの診療過程における(一)の過失と被告徹夫の診療過程における(一)の過失とは、共同不法行為の関係にある。

(3) 使用者責任(民法七一五条)

被告トクは、被告徹夫の指揮監督の下で診療行為をしていたともいい得るから、被告徹夫は、民法七一五条に基づき、被告トクの不法行為について、使用者として、原告らが被った後記損害を賠償すべき義務を負う。

3  損害等

(一) 和也の損害

六一四一万六〇二六円

(1) 逸失利益三六四一万六〇二六円

和也は、満八歳で死亡したが、六七歳まで就労することが見込まれたから、平成四年の賃金センサス産業計・企業規模計・男子労働者の全年齢平均年収額五四四万一四〇〇円を基礎として、生活費控除率を四割とし、中間利息をライプニッツ方式(ライプニッツ係数11.154)により控除して、和也の逸失利益を算出すると、三六四一万六〇二六円となる。

(2) 慰謝料 二五〇〇万円

和也は、本件事故がなければ、健康で元気な男子として育っていたところ、それを奪われ、逆に介護を受けるだけの生活を強いられ、最終的には八年余りの生命で終わってしまった。このような和也の精神的苦痛を慰謝するためには、少なくとも二五〇〇万円が相当である。

(二) 相続

(1) 原告袴田丈司(以下「原告丈司」という。)は和也の父であり、原告直子は、和也の母である。

(2) したがって、原告らは、和也の死亡に伴い、その損害賠償請求権を法定相続分(各二分の一)に従い相続した。

(三) 原告らの損害

各三〇九〇万円

(1) 付添費用 各一四八〇万円

和也は、出生直後から植物人間の状態に陥り、全く回復することなく二九六〇日後に死亡した。この間、原告らは、協力して、和也の生命維持のために看護をしてきた。その付添費用は、一日当たり原告ら各自五〇〇〇万円を下回ることはない。

(2) 慰謝料 各一二〇〇万円

原告らは、我が子を植物人間にされたことにより絶望し、また、一時たりとも休みのない看護の生活を送り、そして最後には和也が幼くして死亡してしまったことにより計り知れない精神的苦痛を受けた。

(3) 弁護士費用 各四一〇万円

原告らは、各自、原告ら訴訟代理人に対し、本件訴訟の提起及び追行を依頼し、弁護士費用として四一〇万円を支払う旨約した。

4  まとめ

よって、原告らは、それぞれ、被告ら各自に対し、不法行為又は債務不履行による損害賠償請求として、六一六〇万八〇一三円及びこれに対する不法行為の日である昭和五八年一二月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)は認める。

(二)  同(二)のうち、原告直子が昭和五八年一二月八日に被告らの診察を受け、同月一五日に入院したことは認め、その余は否認する。

被告らは、同月八日、原告直子を診察した結果、妊娠中毒症の徴候が認められ、巨大児出産の傾向があったことなどから、速やかな分娩を期待して、入院を指示したものである。

(三)  同(三)は否認する。

被告らは、分娩誘発剤を使用したことはない。同月一七日になってから、それまでの子宮頸管熟化を主たる目的とする薬剤に加えて、陣痛促進剤を使用したことはある。ただし、それによって、同日、微弱陣痛が生じ始めたということはなく、同日は、不規則の腹緊があったにすぎない。

(四)  同(四)のうち、原告直子が原告ら主張の日時に和也を出産したことは認め、その余は否認する。原告直子の陣痛発来時は、同月一八日午後三時ころであり、原告ら主張の日時よりもはるかに遅く、本件分娩は遷延分娩ではない。

(五)  同(五)のうち、和也が原告ら主張の日時に本件センターに転院したことは認め、その余は否認する。

(六)  同(六)のうち、和也が原告ら主張のとおり入院したことは認め、その余は否認する。

(七)  同(七)のうち、和也が原告ら主張の日に死亡したことは認め、その余は否認する。原告らが主張する和也の症状の原因は、先天的小頭症など胎児そのものの先天的素因(先天性奇形)にあったと考えられる。したがって、被告らの診療行為と和也の死亡との間には因果関係がない。

2(一)  請求原因2(一)はすべて否認する。

(1) 同(2)について

ア 原告直子の分娩開始時期は、昭和五八年一二月一八日午後三時一五分であり、和也の出産は同日午後四時二三分である。分娩所要時間は約二時間であり、遷延分娩ではない。したがって、原告らの主張は、その前提において誤っている。

そして、被告らは、最善の注意を払って全分娩経過を監視していたものである。

イ また、胎児仮死の徴候は、和也の出産に至るまでの間、一切見られなかった。むしろ、同日午後四時二一分の人工破水から同日午後四時二三分の胎児娩出までの二分間の急速分娩の結果、出産時一時的に仮死状態になったと考えられる。

ウ さらに、分娩監視装置は、本件事故の当時、医療機器として十分なものは存在しなかった。分娩監視装置の不使用を被告らの過失と評価することは、助産婦制度の否定につながるものであって、明らかに誤っている。

(2) 同(3)について

本件分娩は、急速遂娩の適応症例ではない。

(3) 同(4)について

ア 低血糖については、被告らは、和也に五パーセントブドウ糖液を数回投与しており、その処置に問題はない。

イ 和也は、出生後、背中をしりの方から頭部に向かって軽く摩擦され、また、足底を軽くたたかれるなどした結果、啼泣している。その後、和也は、直ちに保育器(温度三〇度、湿度八〇パーセント)に収容され、酸素の投与(酸素濃度四〇パーセント)、保温等が行われた結果、昭和五八年一二月一八日午後五時の時点で、保育器内において、一般状態が良好となった。右処置を講じても自発呼吸がない場合に初めて、気道確保としての気管内挿管が必要となるのである。

被告らは、蘇生用機材はすべて常備し、いつでも使用が可能であったが、和也については、その必要がなかった。

なお、和也のアプガー・スコアは、出生時が〇点、三分後が三点、五分後が八点、そして出生から一時間後の同日午後五時二〇分ころには一〇点となり、完全に回復している。かかる回復がないまま、原告らが主張するように、一九時間も放置していたとすると、和也は、死亡していたはずである。

ウ また、和也が全身性新生児けいれんの状態に陥った事実はない。同月一九日午前一一時三〇分に本件センターに転送される前後に時々振せんを起こす程度であった。

(4) 同(5)について

前記のとおり、和也が早期から全身性新生児けいれんの状態に陥った事実はないのであり、同月一九日午前一一時三〇分に本件センターに和也を転送した被告らの処置に誤りはなかった。

(二)  同(二)のうち、被告トクが分娩介助行為において被告徹夫の履行補助者たる地位にあることは認めるが、その余の主張は争う。

3  請求原因3のうち、和也が死亡したこと、原告らが和也の両親であることは認め、その余は否認する。

第三  証拠関係

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生について)について

1  当事者間に争いのない事実

請求原因1の事実のうち、原告直子が第二子である和也を懐妊し、昭和五八年六月九日、本件診療所において、これを経営する医師の被告徹夫及びその妻で助産婦である被告トクの診察を受けたこと、右診察の結果によると、和也の出産予定日が同年一二月二〇日であったこと、原告直子が昭和五八年一二月八日に被告らの診察を受け、同月一五日に入院したこと、原告直子が同月一八日午後四時二三分に和也を出産したこと、和也が同月一九日午前一一時三〇分に本件センターに転院したこと、和也が昭和五九年八月二〇日から同年九月四日まで東京都立神経病院に、同月一七日から同年一〇月一二日まで心身障害児総合医療療育センターにそれぞれ入院したこと、和也が平成四年一月二五日に死亡したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  本件事故の発生について

当事者間に争いのない1の各事実に、成立に争いのない甲第四、第九、第一五(原本の存在とも)、第二七、第二八、第三三、第三七ないし第三九、第四一号証、乙第一ないし第三、第六ないし、第一六(第七ないし第九号証については、原本の存在とも)、第三二号証、第三三号証の一、二、第三五、第四三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五、第六号証、第二〇号証の一ないし三、第四〇号証、乙第三四号証、証人新津直樹、同鈴木啓二の各証言、原告丈司、原告直子、被告徹夫、被告トクの各本人尋問の結果、鑑定人永田一郎、同玉田太朗の各鑑定の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  被告らの経歴等

(1) 被告徹夫は、昭和三〇年六月、医師国家試験に合格し、同年七月、東京慈恵医科大学放射線医学教室の副手に採用され、昭和三五年、腹水肝がんに関する論文によって医学博士号を取得した。その後、いくつかの病院の産婦人科において勤務するなどした後、昭和五〇年九月、本件診療所を開設した。本件診療所において常時診察に従事する医師は、被告徹夫のみであった。

(2) 本件診療所において常時業務に従事する助産婦は、昭和五八年ころ、被告徹夫の妻である被告トク一名であり、同被告は、被告徹夫との間で雇用契約関係にあった。

被告トクは、昭和三〇年九月には看護婦国家試験に、昭和三二年五月には助産婦国家試験にそれぞれ合格して、公立病院の産婦人科において勤務するなどした後、本件診療所の開設とともに、本件診療所において業務に従事し、助産婦の業務のほか、看護婦の業務にも携わっていた。

(3) なお、本件事故当時、本件診療所には、看護婦が二ないし三名勤務し、病床数は五ないし六であった。

(二)  原告直子の分娩歴等

原告直子は、昭和三六年一〇月二九日に出生し、昭和五六年九月一日、原告丈司と婚姻をした。

原告直子は、昭和五七年二月七日、本件診療所において、長男の袴田卓也(以下「卓也」という。)を出産した。分娩所要時間は、約一八時間一六分であった。原告直子は、卓也の妊娠期間中、妊娠性しっしんにかかり、また、卓也の分娩については、軟産道強じん、微弱陣痛、切迫早産、臍帯巻絡が認められたが、それ以上には、特に異常はなく、卓也も、出生後、特に異常もなく経過している。

(三)  原告直子の第二子懐妊等―昭和五八年六月九日から同年一二月八日までの経過

(1) 原告直子は、第二子を懐妊し、昭和五八年六月九日、本件診療所において、被告徹夫の診察を受けた。それによると、原告直子の最終月経は同年三月一五日から七日間であり、分娩予定日は同年一二月二〇日であった。右診察の結果、母体及び胎児について、特に異常は認められなかった。

(2) 原告直子が次に被告徹夫の診察を受けたのは、同年七月二一日(妊娠一八週)であった。被告徹夫は、原告直子について、超音波検査(Bスコープ)及び血液検査を実施した。

同日の診察等の結果は、次のとおりであり、母体及び胎児について、特に異常は認められなかった。

ア 原告直子は、身長一五六センチメートル、体重59.5キログラム、最大血圧一一〇、最小血圧五〇、浮腫、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲七四センチメートル、子宮底一九センチメートルであった。

イ また、児頭大横経は三八ミリメートルであり、胎児心音は正調であった。

ウ ただ、貧血の有無を検査する項目である血色素量(HGB)及びヘマトクリット(HCT)は、それぞれ、11.8グラム/デシリットル、33.9パーセントであり、いずれも正常域の下位又はそれをわずかに下回る数値であった。

(3) 原告直子が次に被告徹夫の診察を受けたのは、同年八月二五日(妊娠二三週)であった。同日の診察の結果によると、原告直子は、体重六〇キログラム、最大血圧一〇〇、最小血圧二〇、浮腫、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲七八センチメートル、子宮底二三センチメートルであり、また、胎児心音も正調であって、特に異常は認められなかった。

被告徹夫は、原告直子に対し、次回は、同年九月一三日ころに診察を受けるよう指示した。

(4) 原告直子が次に被告徹夫の診察を受けたのは、同年一〇月六日(妊娠二九週)であった。同日の診察の結果によると、原告直子は、体重62.5キログラム、最大血圧一一六、最小血圧三〇、浮腫、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲七五センチメートル、子宮底二七センチメートルであり、また、胎児心音も正調であって、特に異常は認められなかった。ただ、血液検査の結果、血色素量は、11.2グラム/デシリットル、ヘマトクリットは33.6パーセントであり、やや貧血ぎみと診断された。

被告徹夫は、原告直子に対し、次回は、同年一〇月一三日ころに診察を受けるよう指示した。

(5) 原告直子が次に被告徹夫の診察を受けたのは、同年一一月五日(妊娠三三週)であった。被告徹夫は、原告直子について、超音波検査(Bスコープ)を実施した。

同日の診察等の結果は、次のとおりであり、母体及び胎児について、特に異常は認められなかった。

ア 原告直子は、体重63.5キログラム、最大血圧一一六、最小血圧六〇、浮腫、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲八六センチメートル、子宮底三一センチメートルであった。

イ 胎児心音は正調であった。また、胎児の子宮内における位置は、第一頭位であり、正常であった。

被告徹夫は、原告直子に対し、次回は、同月一九日ころに診察を受けるよう指示した。

(6) 原告直子が次に被告徹夫の診察を受けたのは、同年一一月一七日(妊娠三五週)であった。同日の診察の結果によると、原告直子は、体重六五キログラム、最大血圧一〇六、最小血圧四〇、浮腫、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲八七センチメートル、子宮底三〇センチメートルであり、また、胎児心音も正調であって、特に異常は認められなかった。

被告徹夫は、原告直子に対し、同日、食塩制限を指示するとともに、鉄欠乏性貧血治療剤であるスローフィー(一四日分)及びしっしん治療薬であるレスタミン軟こうを処方した。スローフィーは、その後、同年一二月一日にも、一四日分が処方された。

また、被告徹夫は、原告直子が妊娠後期に入っていること、また、原告直子の体重が約二週間で1.5キログラム程度増加していることなどから、流早産やむくみを予防する目的で、同年一一月一八日、漢方製剤であるツムラ当帰芍薬散七日分を院外処方した。右漢方製剤は、同月二五日、同年一二月二日及び同月九日にも、それぞれ、七日分が院外処方された。

(7) 原告直子が次に被告徹夫の診察を受けたのは、同年一二月一日(妊娠三七週)であった。被告徹夫は、原告直子について、超音波検査(Bスコープ)を実施した。

同日の診察等の結果は、次のとおりであり、母体及び胎児について、特に異常は認められなかった。

ア 原告直子は、体重六五キログラム、最大血圧一二〇、最小血圧五〇、浮腫、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲八八センチメートル、子宮底三二センチメートルであった。

イ 児頭大横経は、八六ミリメートルであり、正常な大きさであった。胎児心音も正調であった。また、胎児の子宮内における位置は、頭位であり、正常であった。

なお、被告徹夫は、原告直子に対し、同日、食塩制限を指示した。

(8) 原告直子が次に被告徹夫の診察を受けたのは、同年一二月八日(妊娠三八週)であった。同日の診察等の結果は、次のとおりであり、原告直子は、一週間で体重が一キログラム増加しており、むくみが進行するなどしていた。

ア 原告直子は、体重六六キログラム、最大血圧一一二、最小血圧五〇、浮腫プラス、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲八八センチメートル、子宮底三三センチメートルであった。

イ 子宮口開大は一ないし1.5指、子宮頸管に軟化傾向がみられた。(なお、児頭の位置について、同日の診療録には「骨盤入口部陥入」と記載されているところ、被告徹夫は、この記録は不適切であり、児頭が大骨盤に入りかかっていることを表現したかった旨供述している。)

ウ 腹緊はしばしばあったが、陣痛はなく、胎児心音は正調であった。

そして、被告徹夫は、原告直子に対し、同日、食塩制限及び同月一五日の入院を指示した。

(四)  原告直子の入院等―昭和五八年一二月一五日から一七日までの経過

(1) 原告直子は、同月一五日(妊娠三九週)午前九時ころ、本件診療所に入院した。その際、原告直子は、体重六七キログラム、最大血圧一二二、最小血圧六〇、浮腫プラス、尿たんぱく及び尿糖各マイナス、腹囲八九センチメートル、子宮底三四センチメートルであり、胎児心音は、五秒間一二回であり、正調であった。

(2) 被告徹夫は、同日午前九時二五分ころ、原告直子を内診した。それによると、子宮口開大は一指、子宮頸管の硬度はやや軟、児頭の位置は骨盤入口部であった。腹緊はいくらかあったが、陣痛はなかった。胎児心音については、規則的で正常であった。

被告徹夫は、原告直子に対し、妊娠末期における分娩誘発及び陣痛促進を適応症とするプロスタグランディンE2一錠を、同日午前九時ころ、午前一〇時ころ、午前一一時ころ、正午ころ、午後一時ころ及び午後二時ころの六回投与した。

被告徹夫は、同日午後四時二〇分ころ、原告直子を内診した。それによると、子宮口開大は1.5ないし二指、子宮頸管の硬度は軟であった。腹緊はいくらかあったが、陣痛はなかった。胎児心音については、規則的で正常であった。

(3) 被告徹夫は、同月一六日午前九時二〇分ころ、原告直子を内診した。それによると、子宮口開大は二指、子宮頸管の硬度は軟であった。陣痛については、原告直子の訴えが主で、実際には腹緊があったりなかったりする程度であった。胎児心音は規則的で正常であった。

被告徹夫は、原告直子に対し、前記プロスタグランディンE2一錠を、同日午前九時三〇分ころ、午前一〇時三〇分ころ、午前一一時三〇分ころ、午後〇時三〇分ころ、午後一時三〇分ころ及び午後二時三〇分ころの六回投与した、

被告徹夫は、同日午後四時五〇分ころ、原告直子を内診した。それによると、子宮口開大は二ないし2.5指、子宮頸管の硬度は軟であった。陣痛については、原告直子の訴えが主で、実際には腹緊が時々ある程度であった。胎児心音は規則的で正常であった。

(4) 被告徹夫は、同月一七日午前九時二五分ころ、原告直子を内診した。それによると、子宮口開大は二ないし2.5指、子宮頸管の硬度は軟であり、胎胞の形成が認められた。そして、ある程度の陣痛が認められ、腹緊もしばしば不規則に起こっていた。胎児心音は規則的で正常であった。

被告徹夫は、原告直子に対し、同日午前九時三〇分ころ、前記プロスタグランディンE2一錠を投与した。そして、被告トクは、分娩が近いと判断し、原告直子を分娩室に移した上、同日午前九時四五分ころから、原告直子に対し、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに、陣痛促進剤であるプロスタブランディンF2α二〇〇〇マイクログラムを入れて点滴を開始した。なお、プロスタグランディンE2については、同日午前一〇時三〇分ころ、午前一一時三〇分ころ、午後一時三〇分ころ、午後二時三〇分ころ及び午後三時三〇分ころにもそれぞれ一錠ずつ投与した。

また、被告徹夫は、原告直子に対し、同日午後一時三五分ころ、午後二時三〇分ころ及び午後三時三〇分ころの三回、子宮頸管の軟化を適応症とするエストリール二〇ミリグラム及び胃腸のけいれんを適応症とするブスコパン一アンプルを筋肉注射するとともに、同日午後三時三〇分ころ、子宮頸管熟化剤であるマイリス一〇ミリリットルを静脈注射した。

原告直子は、同日午後一時三五分ころ、午後二時三〇分ころ及び午後三時三〇分ころの三回、導尿を施された。

(五)  原告直子の分娩等―昭和五八年一二月一八日午後四時二三分までの経過

(1) 被告徹夫は、同月一八日午前一〇時三〇分ころ、原告直子を内診した。それによると、子宮口開大は三ないし3.5指(開大度八〇パーセント)であり、胎胞の形成が認められた。また、ある程度の陣痛が認められた。胎児心音は規則的で正常であった。

被告徹夫は、原告直子に対し、前記プロスタグランディンE2一錠を、同日午前一〇時三〇分ころ、午前一一時三〇分ころ及び午後〇時三〇分ころの三回投与した。また、同日午前一〇時四五分ころ、前記マイリス一〇ミリリットルを静脈注射するとともに、同日午後〇時三五分及び四五分ころ、前記エストリール二〇ミリグラム及びブスコパン一アンプルを筋肉注射した。原告直子は、同日午前一〇時四五分ころ及び午後〇時三〇分ころの二回導尿を施された。

被告徹夫は、原告直子に対し、同日午後一時三〇分ころ、五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルに、プロスタグランディンF2α二〇〇〇マイクログラムを入れて点滴を開始した。また、同日午後一時四五分ころ及び午後二時四五分ころ、エストリール二〇ミリグラム及びブスコパン一アンプルを筋肉注射するとともに、同日午後二時四五分ころ、マイリス一〇ミリリットルを静脈注射した。そして、同日午後二時一〇分ころ、導尿を施した。

(2) 被告徹夫は、同日午後三時一五分ころ、原告直子を内診した。それによると、子宮口開大は三ないし3.5指、子宮頸管部はまだ厚く、強い陣痛が認められた。胎児心音については、規則的で正常であった。

その後、導尿を施すとともに、エストリール二〇ミリグラム及びブスコパン一アンプルを筋肉注射し、また、プロスタグランディンF2α二〇〇〇マイクログラム(五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットル混合)の点滴が追加された。

そして、同日午後四時ころ、胎児心拍数の低下が認められたことから、酸素吸入が施された。

(3) 被告徹夫は、原告直子に対し、同日午後四時一二分ころ、血管緊張・呼吸中枢興奮剤であるビタカンファー一アンプルを静脈注射した。また、同日午後四時二〇分ころ、陣痛促進剤であるアトニンO一単位を筋肉注射し、同日午後四時二一分ころ、人工破水を行った。

そして、原告直子は、被告ら立会いの下、同日午後四時二二分ころに排臨(陣痛発作時には胎児先進部が下降して陰裂間に見えるが、陣痛間欠期には上昇して見えなくなる状態)となり、同日午後四時二三分ころ、発露(胎児先進部が絶えず陰裂間に見え、陣痛間欠期にも後退しない状態)に至るとともに、和也を分娩した。体重は、三五〇〇グラムで、AFD児(在胎週数に見合った体重を有する乳児)であった。

(4) 被告らは、原告直子の分娩について、分娩経過図を作成しておらず、また、分娩監視装置を使用して連続的に胎児の心拍数及び陣痛を記録してはいなかった。

被告徹夫は、原告直子が本件診療所に入院した後には、毎日午前中に原告直子を内診し、被告トクに対し、その報告を受けて投薬等の指示をしていた。被告トクは、原告直子の入院後、病床において、昼夜にわたりその分娩経過を継続的に観察していた。

胎児心音の聴取について、被告トクは、ドップラー胎児心音計を使用することもなくはなかったが、ほとんどトラウベ聴診器を使用していた。そして、同日午後四時ころに酸素吸入を施した後は、和也の出産に至るまで頻繁に胎児心音を聴取していた。

(六)  和也の出生から転院まで―昭和五八年一二月一八日午後四時二三分以降の経過

(1) 和也は、出生直後、啼泣せず、チアノーゼが認められるなど仮死状態であった。新生児仮死の程度を示すアプガー・スコア(八ないし一〇点が新生児仮死なし、五ないし七点が軽症仮死、〇ないし四点が重症仮死と判断される。)は、出生一分後〇ないし一点、三分後五点、五分後八点であった。また、和也の出生時、その気道に混濁及び悪臭のない大量の羊水が認められた。

被告トクは、和也の背部を摩擦するなどの蘇生術を実施し、他方、被告徹夫は、和也に対し、酸素吸入を施すとともに、呼吸中枢興奮剤であるテラプチク二分の一アンプルを筋肉注射した。その後、和也が啼泣を始めたことから、被告トクは、和也を新生児室に運び、保育器に収容した。酸素吸入については、収容後も続けられた。ただし、被告らは、気管内挿管については、その必要を認めず、これを実施しなかった。

その後、被告徹夫は、分娩室において、原告直子に付き添っていたところ、原告直子は、同日午後四時四〇分ころ、胎盤を排出した。

(2) 被告トクは、新生児室において、和也に付き添って、その心音や呼吸状態を観察し、異常等を認めたときは、別室にいる被告徹夫に報告した。そして、被告徹夫は、被告トクの報告を受けて、新生児室に赴き、同日午後五時ころから午後一一時ころまでの間に二、三回、和也を診察したが、出生一時間後のアプガー・スコアは一〇点であり、チアノーゼが消失するなど、徐々に仮死状態から回復してきていることが認められた。

その間、被告徹夫は、和也に発熱を認めたことから、同日午後五時三〇分ころ、ペニシリン剤であるビクシリン一〇〇ミリグラムを筋肉注射するとともに、止血剤であるアドナー一〇ミリグラム及びケーワン一〇ミリグラムを筋肉注射した。

被告徹夫は、和也に呻吟が認められるとの報告があったことから、低血糖を疑い、同日午後一一時ころ、五パーセントブドウ糖液一〇ミリリットルを経口投与した。ただし、被告徹夫は、このときを含めて一度も和也の血糖値を検査しなかった。

なお、同じころ、和也のほ乳力は「やや良」の状態であり、胎便マイナス、尿マイナスであった。

(3) 被告トクは、同月一九日午前二時五五分ころ、和也に強い呻吟及び手足の震え(振せん)を認めた。被告徹夫は、被告トクの報告を受けて、抗けいれん剤である一〇パーセントフェノバルビタール0.2ミリリットルを筋肉注射した。

同日午前四時二〇分ころの和也の状態は、ほ乳力良好、胎便プラス、尿マイナス、おう吐マイナス、吐き気マイナス、呼吸数毎分一〇二、心拍数毎分一五二、体温三八度五分であった。このころ、被告徹夫は、五パーセントブドウ糖液二〇ミリリットルを経口投与した。

被告徹夫は、和也に対し、同日午前四時五〇分ころ、前記一〇パーセントフェノバルビタール0.2ミリリットルを筋肉注射した。また、同日午前六時ころ、胎便が認められた。そして、同日午前六時一八分には、無呼吸発作が認められ、前記テラプチク二分の一アンプルの筋肉注射が施された。被告徹夫は、同日午前六時三〇分ころ、和也に振せんが認められたことから、五パーセントブドウ糖液一五ミリリットルを、口から挿入したチューブを使用して投与した。その後、同日午前七時二〇分ころには五パーセントブドウ糖液二〇ミリリットルが、同日午前八時二〇分ころにはミルク三〇ミリリットルがそれぞれチューブを使用して投与された。さらに、同日午前八時三〇分ころ、テラプチク二分の一アンプル及び前記ビクシリン一〇〇ミリグラムの各筋肉注射が施されるとともに、同日午前一〇時二〇分ころ、五パーセントブドウ糖液二〇ミリリットルがチューブを使用して投与された。

(4) 被告徹夫は、同日午前一〇時二五分ころ、和也を診察した。それによると、心音には異常がなかったが、胸部呼吸は雑音があり不整であった。また、反射は過敏であり、振せんが時々認められた。

そこで、被告徹夫は、和也について重大な疾患を疑い、専門の医療機関における検査が必要であると判断し、本件センターに転送する手続をとった。そして、被告トクは、同日午前一一時三〇分ころ、和也及び原告丈司とともに、救急車で本件診療所から本件センターに向かった。その際、和也は、保育器に収容されており、酸素吸入を受けていた。

(七)  和也の転院から死亡まで等―昭和五八年一二月一九日から平成四年一月二五日までの経過

(1) 和也は、昭和五八年一二月一九日午後〇時一〇分ころ、本件センターに入院した。和也は、入院時において、体重三四二〇グラム、身長49.5センチメートル、頭囲33.8センチメートル、胸囲34.5センチメートル、体温(直腸温)39.0度、呼吸数毎分七五、心拍数毎分一六八であった。また、全身性強直性けいれんのほか、口唇及び舌の異常運動を伴うペダルこぎ様の非定型発作、目つきの異常などが認められた。

本件センターは、和也に対し、同日午後〇時一〇分ころ、抗けいれん剤であるジアゼパムの筋肉注射及び抗けいれん剤であるフェノバルビタールの静脈注射が実施されるとともに、二〇パーセントブドウ糖液及びグルコン酸カルシウムが投与されたが、酸素の投与は施されなかった。この時点の動脈血酸素分圧は、六九トルであった。

本件センターは、同日午後三時五〇分ころ、全身性強直性けいれんは収まっていたものの、右上下肢を中心としたけいれん発作が認められたことから、和也に対し、ジアゼパム、フェノバルビタール及び二〇パーセントブドウ糖液を静脈注射した。しかし、酸素の投与は施されなかった。この時点の動脈血酸素分圧は、八七トルであった。

同日午後八時ころにも、和也にけいれん発作が認められ、同日午後八時三〇分ころから、抗けいれん剤であるペントバルビタールの点滴投与を開始したが、酸素の投与は施されなかった。この時点の動脈血酸素分圧は、八一トルであった。

けいれん発作は、ペントバルビタールの点滴を開始した後には、同月二四日午前九時一五分ころまで認められなかった。また、酸素の投与は、同月二一日午後五時三五分ころから開始された。吸入酸素濃度は、当初二五パーセントであり、同月二二日午前七時一八分ころには三〇パーセントになった。動脈血酸素分圧は、同月二一日から同月二四日までの間において、最低値が五八トル、最高値が九〇トルであった。

(2) 本件センターは、入院後の和也に対し、視診、聴診及び触診を施すとともに、心臓のエコー、頭部CTスキャン、レントゲン等の検査を実施したが、先天的な外表奇形及び内蔵の異常は認められなかった。また、アミテスト及びガスリー検査(先天性代謝異常症マススクリーニング)も実施されたが、これらの結果にも異常は認められなかった。なお、染色体検査は実施されなかった。

(3) 和也の入院時の主な問題点は、①けいれん、②脳浮腫、③クモ膜下出血、④低血糖、⑤低カルシウム血症、⑥高カリウム血症及び⑦腎不全であった。

このうち、①けいれんについては、複数の抗けいれん剤の投与によって、昭和五九年一月六日には軽快した。

②脳浮腫は、重症であり、グリセオールの投与によって軽快したが、脳波は、同年二月二日に本件センターを退院するまで平低のままだった。また、同年一月六日には、頭部CTスキャン検査によって、新たな問題点として脳軟化症が指摘された。その症状として、ほ乳力低下、しんせん、外斜視、体温変動などが存在し、重症化が予測された。

③クモ膜下出血については、同日に実施されたCTスキャンによって認められたが、同年二月二日の退院時には軽快していた。

④低血糖、⑤低カルシウム血症、⑥高カリウム血症及び⑦腎不全は、いずれも、内科的治療により、昭和五八年一二月二八日までに軽快した。

(4) 栄養については、当初、経管栄養であったが、昭和五九年一月一七日ころからほ乳力が強くなり、同月二五日には全量経口ほ乳が可能となった。

(5) 和也は、同年二月二日、本件センターを退院したが、その際の診断は、①低酸素性脳障害(軽快)、②クモ膜下出血(軽快)、③けいれん(軽快)、④新生児低血糖(治癒)、⑤新生児低カルシウム血症(治癒)、⑥急性腎不全(軽快)及び脳軟化症(不変)であった。

和也は、本件センターを退院後、本件センターに外来通院していた。

(6) 和也は、同年八月一三日、被告らの紹介で東京都立府中病院神経小児科外来を受診し、同月二〇日、東京都立神経病院神経小児科に入院した。

和也に対する同病院の所見は、小頭症(頭囲36.7センチメートル)、重度精神遅滞(追視がない。あやし笑いがはっきりしない。)、脳性まひ(頸定不完全、硬直性四肢まひ)、てんかん(眼球は上転、上肢及び体幹は強直性、下肢はペダルこぎ様)及び体温調節障害(三八ないし三九度に上昇しやすい。)であった。脳波については、低電位であり、両側前頭葉及び左側頭葉に鋭波がみられた。また、頭部CTスキャン検査によって、多のう胞性軟化症が認められた。

和也は、同年九月四日、右病院を退院したが、その際の診断は、①新生児仮死後遺症、②てんかん、③脳性まひ(四肢まひ)及び④精神薄弱(最重度)であった。

(7) 和也は、同月五日から平成四年一月二二日まで、心身障害児総合医療療育センターに入・通院し、リハビリテーションの指導を受けた。

平成二年二月六日(和也六歳)の診断によると、和也の病名は、周産期仮死後遺症による脳性まひ、知能障害及びてんかんであった。同日の診断によると、和也は、けいれん発作が認められ、体温調節機能も不良であり、四肢及び体幹の随意運動がほとんどなく、寝返り、はうこと及び座位保持が不可能であった。また、体調が悪いときには、経口摂取が困難で経管栄養を必要とした。さらに、排尿排便とも介助が必要で、常時おしめの着用を要し、発語、言語理解又は身振りによる意思の疎通が不可能であった。そして、和也は、右障害が固定し、将来の改善の見通しはなく、全面的な介護及び常時監視を必要としていた。

(8) この間、和也は、肺炎のために数回入・退院を繰り返したが、平成四年一月二五日、肺炎のため、八歳で死亡した。

(9) なお、原告直子の母親は、糖尿病を患っていたところ、被告らは、本件事故当時、このことを知らなかった。

しかし、昭和五八年一二月二四日における原告直子のヘモグロビンA1検査及び五〇グラムブドウ糖負荷検査の結果は、いずれも正常であった。

3  出生後の和也の症状及びその原因について

(一)  出生後の和也の症状について

2に判示したとおり、和也には、昭和五八年一二月一九日に本件センターに入院した時点においては①けいれん、②脳浮腫、③クモ膜下出血、④低血糖、⑤低カルシウム血症、⑥高カリウム血症及び⑦腎不全の各症状が、昭和五九年二月二日に本件センターを退院した時点においては脳軟化症の症状(ほ乳力低下、しんせん、外斜視、体温変動及び脳波平低)が、同年九月四日に東京都立神経病院を退院した時点においては①新生児仮死後遺症、②てんかん、③脳性まひ(四肢まひ)及び④精神薄弱(最重度)の各症状がそれぞれ認められた(これらの各症状を一括して以下「本件症状」という。)。

(二)  本件症状の原因について

(1) 和也の本件症状について、鑑定人玉田太朗の鑑定の結果は、次のとおりであり、その判断は相当であって、採用するに足りるものというべきである。

ア 和也の本件症状の原因として、最も可能性の高いものは、胎児仮死であり、この結果、低酸素性虚血性脳障害を来したものと考えられる。副因として、胎児仮死に続発した新生児仮死及び新生児けいれんが考えられる。これらの結果、多のう胞性脳軟化症が発症した。

イ 和也について、アプガー・スコアが出生三分後五点、五分後八点と回復したにもかかわらず、前示のとおり重い神経学的後遺障害が残ったのは、出生前に既に低酸素性虚血性脳障害を起こしていたことが原因であるものと考えられる。

ウ 新生児仮死は、出生時に胎内生活から胎外生活に移行する際の適応障害のために起こり、中枢神経障害や代謝異常を伴う呼吸循環不全を主徴とする。多くの新生児仮死は、胎児仮死に続発する。

エ 前示のとおり、分娩前六八分ころの時点である昭和五八年一二月一八日午後三時一五分ころにおいて、胎児心音は規則的で正常であり、胎児の心臓は正常に動いていたにもかかわらず、重篤な新生児仮死の状態に至ったことが認められるところ、分娩前約六八分の間にも胎児に重大な障害を及ぼすような異常が起こる可能性はある。多いものとして、過強陣痛、臍帯下垂、臍帯巻絡、臍帯過短、羊水大量吸引症候群、頭蓋内出血などがあり、まれなものとして、胎磐早期剥離、臍帯梗塞などがある。

オ クモ膜下出血及び急性腎不全は、いずれも軽症であって、低酸素性虚血性脳障害の結果発症し、しかも速やかに軽快していることから、和也の本件症状に大きく影響したとは考えられない。

カ 一般に、全身性けいれんが収らないうちに次の発作が始まるというけいれん重積状態になると、脳血流量が減少して脳浮腫を来すところ、和也は、けいれん重積状態にはならなかった。また、けいれんの原因となり得る低血糖、低カルシウム血症及び低ナトリウム血症は、速やかに治療によって軽快しており、かつ、その後もけいれんが生じている。したがって、これらは、脳浮腫の主な原因とは考えられない。

キ 和也の血清CRPは、本件センターの入院時において、0.5ミリグラム/デシリットルであり、その後も著明な上昇がないことから、細菌感染症が本件症状の原因である可能性はない。また、サイトメガロウイルスなどの先天性ウイルス感染症は、精神運動発達遅滞の原因となることがあるが、本件センター入院時の血清IgMが二〇ミリグラム/デシリットル未満であり、頭部CTスキャン検査で脳室周囲の石灰化もないことから、ウイルス感染症が本件症状の原因であるとは考えにくい。

(2) ところで、被告らは、和也の本件症状の原因として、先天的小頭症などの先天性の奇形を主張し、被告徹夫、被告トクの各本人尋問の結果(被告トクの上申書(乙第二、第三号証)を含む。)中にはこれに沿う供述部分がある。

しかしながら、鑑定人玉田太朗の鑑定の結果は、次のとおりであり、その判断を不当とすべき証拠はなく、これに照すと、被告らの右主張は、採用することができない。

ア 一般に、生下時の頭囲は、胸囲よりも大きいところ、和也は、本件センターに入院時において、頭囲が33.8センチメートル、胸囲が34.5センチメートルであって、相対的に頭囲がやや小さい印象を受ける。ところで小頭症というのは、身長及び体重が年齢相当の場合において、頭囲が平均より標準偏差の二ないし三倍以上小さいことをいう。そして、男児新生児の身長、体重及び頭囲は、昭和五五年度の文部省(身長及び体重につき)及び厚生省(頭囲につき)の統計によると、それぞれ、「49.7±1.8(「平均±標準偏差」を示す。以下同じ。)」センチメートル、「3.2±0.4」キログラム及び「33.6±1.4」センチメートルであるから、和也が小頭症の定義に該当するためには、頭囲が30.8ないし29.4センチメートル以下でなければならない。

また、前示のとおり、本件センターにおける頭部CTスキャン検査で頭囲が小さくなるような奇形や先天性ウイルス感染症を示唆するような所見(サイトメガロウイルス感染における石灰化など)もない。

したがって、和也について生下時に小頭症があったとはいえない(後に認められるようになる小頭症は、大脳の神経細胞が低酸素性虚血性脳障害の結果、壊死に陥り、大脳が著明に萎縮した結果として起こったものである。)。

イ 本件センターは、和也について染色体検査を実施していないが、染色体異常に多く認められる子宮内発育遅延がなく、その他染色体異常を示唆する外表奇形もない。

ウ 先天性代謝異常の家族歴はなく、和也に著明なアシドーシス(血中の酸と塩基との関係が酸優位の状態になったものをいう。)も認められない。また、アミテストの結果が正常であることから、先天性尿素サイクル異常症は考えにくい。さらに、ガスリー検査(先天性代謝異常症マススクリーニング)の結果にも異常が認められない。

したがって、和也が先天性代謝異常症であった可能性は低い。

エ 前示のとおり、分娩後六日の時点における原告直子のヘモグロビンA1検査及び五〇グラムブドウ糖負荷検査の結果は、いずれも正常であった。ヘモグロビンA1検査は、過去一か月ないし三か月の血糖値を反映するものであるところ、その検査結果が正常であることと、妊娠中の尿糖が全期間を通じて陰性であることから、原告直子は、妊娠中及び右検査時点において糖尿病ではなかったといえる、

(3) 被告らは、和也の新生児仮死について、昭和五八年一二月一八日午後四時二一分の人工破水から同日午後四時二三分の胎児娩出までの二分間の急速分娩が原因である旨主張し、前掲乙第二、第三号証中にはこれに沿う部分がある。

しかしながら、鑑定人玉田太朗が、和也はアプガー・スコアが出生一分後〇ないし一点であって、極めて重症の新生児仮死の状態にあったのであり、このような重症の新生児仮死を急速分娩によるショックだけでは説明することができず、その前提に重症の胎児仮死があった可能性が高いとしていることに照すと、被告らの右主張は、採用することができない。

(4) また、被告徹夫本人尋問の結果中には、和也が本件センターにおける検査により大量の放射能を浴びており、これが和也の本件症状の原因となっていると思われる旨の供述部分がある。

しかしながら、鑑定人玉田太朗は、和也が常識的な回数を超えて放射能を浴びているとはいえないとしており、これに照らすと、被告徹夫の右供述部分は、採用することができない。

(5) さらに、被告徹夫、被告トクの各本人尋問の結果中には、本件センターが和也に対して直ちに酸素を投与しておらず、これが本件症状の一因になっているとするかのように解される供述部分がある。しかしながら、2において認定した各事実及び鑑定人玉田太朗が、一般に、けいれん発作で酸素吸入を必要とするのは、全身性けいれんが重積する場合であり、意識が消失し、舌根が沈下して換気が不十分になるため、酸素を吸入させて中枢神経系その他の低酸素血症を防ぐ必要があるところ、本件センターに入院した当初の全身性強直性けいれんは、抗けいれん剤、二〇パーセントブドウ糖液及びグルコン酸カルシウムの投与によって、収まったものとみられ、右入院当日(昭和五八年一二月一九日)における動脈血酸素分圧の測定数値の経過に照らし、和也が酸素の投与を受けなかったために低酸素血症の状態に至った可能性は低いと判断しており、右判断は首肯するに足りることに照らすと、被告らの右供述部分は、採用することができない。

(6) 以上によると、和也の本件症状の原因は、胎児仮死による低酸素性虚血性脳障害であり、胎児仮死に続発した新生児仮死及び新生児けいれんが副因であると認めるのが相当である。

4  胎児仮死について

原本の存在と成立に争いのない甲第一、第一一、第四二ないし第四四号証及び鑑定人玉田太朗の鑑定の結果によると、次のとおりの医学的知見が認められる。

(一)胎児仮死とは、胎児胎盤系の呼吸循環不全を主徴とする症候群のことであり、これを放置すると、胎児の死亡や新生児仮死の原因となる。

(二)  胎児仮死の最大の原因は、低酸素である。

胎盤のガス交換及び胎児と胎盤の循環を障害する原因としては、①母体に糖尿病などの代謝性疾患、心疾患又は呼吸器疾患があり、母体血液がアシドーシスに傾いた場合、②母体血圧の下降や子宮収縮などにより子宮循環が障害された場合、③妊娠中毒症や予定日超過妊娠などにより胎盤機能が低下している場合、④児頭や臍帯などの圧迫により胎児循環が障害された場合などが考えられる。

また、分娩誘発剤ないし陣痛促進剤の投与方法が不適切な場合にも、過強陣痛が引き起こされて胎児への酸素供給が阻害され、胎児仮死の危険が増加する。

(三)  胎児仮死と診断された場合には、胎児の低酸素症の改善を図るため、直ちに、母体の体位変換、母体に対する酸素投与、陣痛促進剤の投与の中止等の処置を施し、これらによっても、胎児の低酸素症が改善されない場合には、帝王切開術等の急速遂娩術を実施することにより速やかに胎児を娩出させる必要がある。

二  請求原因2(一)(被告らの過失)について

1 同(1)(不適切な分娩誘発ないし陣痛促進)について

(一) 原告らは、被告らには、その必要性がないのに原告直子に分娩誘発剤ないし陣痛促進剤を投与した過失がある旨主張する。

(二) 前示のとおり、分娩誘発剤ないし陣痛促進剤の投与方法が不適切な場合にも、過強陣痛が引き起こされて胎児への酸素供給が阻害され、胎児仮死の危険が増加するとされているところ、鑑定人玉田太朗の鑑定の結果中には、被告らによる分娩誘発剤ないし陣痛促進剤の投与を不適切であるとする部分があるが、後に2(三)において判示する第一期遷延分娩の原因に関する判断にすぎないことに照らすと、右鑑定部分をもって、被告らによる右投与が過強陣痛を引き起こして和也の胎児仮死の原因となったと認めることはできず、他に被告らによる右投与が過強陣痛を引き起こしたものと認めるに足りる証拠はない。したがって、被告らによる右投与につき過失を認めることはできない。

2 同(2)(分娩監視義務違反)について

(一) 原告らは、本件分娩が微弱陣痛による第一期遷延分娩であり、しかも、分娩誘発剤ないし陣痛促進剤も投与されており、胎児仮死の危険性が十分にあったのであるから、このような場合、被告らは、分娩経過図を作成し、また、分娩監視装置を使用するなど特に厳重な分娩監視を行い、これによって胎児及び母体の異常を早期に発見すべき義務を負っていたのに、これを怠り、特に、胎児仮死を診断する際の最も重要な監視事項である胎児心拍数の測定がずさんであったため、和也の胎児仮死の徴候を発見することができず、その結果、本件事故の発生に至った旨主張する。

(二)(1) 被告徹夫は、前示のとおり、原告直子が本件診療所に入院した後には、毎日午前中に原告直子を内診し、被告トクに対し、その報告を受けて投薬等の指示をしていた。また、原告直子が本件診療所に入院した昭和五八年一二月一五日以降の二日間において、同日午前九時ころ、午前九時二五分ころ及び午後四時二〇分ころ並びに同月一六日午前九時二〇分ころ及び午後四時五〇分ころの合計五回、原告直子を内診するとともに、胎児心音を聴取したが、いずれも異常はなかった。さらに、同月一七日午前九時二五分ころ、原告直子の内診及び胎児心音の聴取を行い、同月一八日午前一〇時三〇分ころ及び午後三時一五分ころの二回、原告直子を内診するとともに、胎児心音を聴取したが、いずれも異常がなかった。

(2)  他方、被告トクは、前示のとおり、原告直子の入院後、病床において、昼夜にわたりその分娩経過を継続的に観察していた。また、同被告は、主としてトラウベ聴診器によって胎児心音を聴取しており、同月一八日午後四時ころに胎児心音が悪化して酸素投与がされた後は、頻繁に胎児心音を聴取した。

(3)  もっとも、被告らは、前示のとおり、本件分娩について、分娩経過図を作成せず、また、分娩監視装置により胎児心拍数を監視したことはない。

(三)(1) 鑑定人玉田太朗の鑑定の結果によると、本件分娩を微弱陣痛による第一期(分娩開始から子宮口全開大(約一〇センチメートル開大)までの期間)遷延分娩と認めるのが相当であるが、他方、前掲甲第三七、第四二号証、原本の存在と成立に争いのない甲第一八、第一九号証、乙第一八、第五八号証によると、微弱陣痛による遷延分娩は、一般に、分娩第一期のうち破水(前示のとおり、本件において破水に至ったのは、分娩直前の同月一八日午後四時二一分ころである。)前においては、母体及び胎児に対し、ほとんど障害を及ぼさないとされていることが認められるのであって、この点に照らして考えると、被告らが(二)の程度の分娩監視をするにとどまり、原告らが主張するような特に厳重な分娩監視をしなかったことをもって、被告らの過失ということはできないと解される。

(2)  前示のとおり、分娩前六八分ころの時点である同月一八日午後三時一五分ころにおいて、胎児心音は規則的で正常であり、胎児の心臓は正常に動いていたことが認められるのであり、また、それ以前に胎児仮死の徴候があったと認めるに足りる証拠はない。

ところで、前示のとおり、分娩前約六八分の間にも胎児に重大な障害を及ぼすような異常が起こる可能性があること、多いものとして、過強陣痛、臍帯下垂、臍帯巻絡、臍帯過短、羊水大量吸引症候群、頭蓋内出血などがあり、まれなものとして、胎盤早期剥離、臍帯梗塞などがあるとされていることが認められるものの、鑑定人玉田太朗の鑑定の結果を含め、本件全証拠によっても、和也の胎児仮死が右異常のうちのいずれか、あるいはその他いかなる原因によって発生したものであるか、その原因を特定するに足りない上、分娩前約六八分の間に胎児仮死の徴候が現れたことを認めるに足りる証拠もない。また、前示のとおり、被告トクは、同日午後四時ころから和也の出産に至るまでの間、原告直子に対して酸素吸入を施すとともに、頻繁に胎児心音を聴取していたことをも併せ考えると、被告らが(二)の程度の分娩監視をするにとどまり、原告らが主張するような特に厳重な分娩監視をしなかったからといって、被告らに過失かあったとはいえないと解すべきである。

3 同(3)(急速遂娩を怠った過失)について

原告らは、本件分娩において、胎児仮死の発生を確認するとともに、直ちに急速遂娩を実施すべきであったのに、被告らはこれを怠り、その結果、本件事故の発生に至った旨主張する。

しかしながら、2において検討したとおり、本件分娩において胎児仮死の徴候があった事実は認めることができないのであるから、胎児仮死の徴候を発見することが可能であったことを前提とする原告らの右主張は、その前提を欠くものであって、被告らにその点の過失を認めることはできない。

4 同(4)(和也に対する低血糖の治療及び救急蘇生術に関する過失)について

(一) 原告らは、被告らには、脳障害の原因となる新生児けいれんの一原因たる和也の低血糖につき治療を怠った過失がある旨及び和也の救急蘇生に必要な措置をほとんど講じなかった過失がある旨主張する。

(二) 鑑定人玉田太朗は、被告らが昭和五八年一二月一八日午後一一時ころに低血糖を疑った時点及び同月一九日午前二時五五分ころに和也に振せんを認めた時点において、和也の毛細血管中の血糖値をデキストロスティックスで検査しなかったことは、被告らの落度といえるとし、和也が低血糖であったとすると、被告らが、本件センターに転送するまでの間に和也に対して五パーセントブドウ糖液合計八五ミリリットル及びミルク三〇ミリリットルを経口的または経管的に投与したことは、量的に少ないこと及び消化に時間がかかることから、不適切な処置であったとしている。しかしながら、和也の低血糖については、本件センターにおける治療によって速やかに軽快しており、かつ、その後もけいれんが生じていることから、低血糖が脳浮腫の主な原因とは考えられないことは、前示のとおりである。

(三) また、鑑定人玉田太朗は、被告らが、和也の出生直後、マスク・アンド・バッグ法による人工呼吸、心臓マッサージ等を行わなかったことにも問題があるとしている。しかしながら、他方、同鑑定人は、輸液療法や採血などによる検査を行わなかったことについて被告らを非難することはできず、前示のとおり、アプガー・スコアが出生三分後五点、五分後八点と回復したにもかかわらず、和也に重い神経学的後遺障害が残ったのは、出生前に既に低酸素性虚血性脳障害を起こしていたことが原因であるものと考えられ、被告らの和也に対する右のような不十分な処置が本件症状の主因であるとは認め難いとも判断しており、右判断はこれを十分に首肯することができる。

(四) したがって、被告らの和也に対する低血糖の治療及び救急蘇生術に不十分な点があったとしても、そのことと和也の本件症状ないしその増悪との間に因果関係を認めることはできないというべきである。

5 同(5)(和也の転院の遅滞)について

(一)(1) 原告らは、被告らが和也を直ちにしかるべき人員及び設備のある病院に転院させるべきであったのに、これを遅滞し、和也に適切な治療を受ける機会を失わせた旨主張する。

(2)  前示のとおり、被告らは、昭和五八年一二月一九日午前一〇時二五分過ぎころ、和也を本件センターに転送する手続をとり、和也は、同日午前一一時三〇分ころ、救急車で本件診療所から本件センターに向かった事実が認められるところ、鑑定人玉田太朗の鑑定の結果中には、被告らは、遅くとも同日午前九時には本件センター又は他病院小児科に転送する手続をとるべきであったとする部分がある。しかしながら、前示のとおり、和也の低血糖、低カルシウム血症は脳浮腫の主な原因とは考えられず、和也の本件症状の原因は、出生前の低酸素性虚血性脳障害と考えられるのであって、この点に照らして考えると、被告らの転院手続に若干の遅滞があったとしても、そのことと和也の本件症状ないしその増悪との間に因果関係を認めることはできないと解される。

(二) また、原告らは、被告らが、微弱陣痛による遷延分娩と判断した時点で、原告直子をしかるべき病院に転院させるべきであったのに、これを怠り、その結果、本件事故の発生に至った旨主張する。

しかしながら、前示のとおり、一般に、微弱陣痛による第一期遷延分娩は、破水前においては、母体及び胎児に対し、ほとんど障害を及ぼさないとされていることに照らすと、被告らが微弱陣痛による遷延分娩と判断した時点で転院手続をとらなかったことをもって、被告らの過失とすることはできない。

6  まとめ

以上のとおり、請求原因2(一)の被告らの過失は、いずれもこれを認めることができない。

三  結論

よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河本誠之 裁判官梅津和宏 裁判官小林邦夫)

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